結人プロジェクト チャレンジャー白畑瞬 沖縄〜奄美 単独航海

結人サブプロジェクト


先人たちの島への熱い「おもい」
〜奄美群島復帰60周年記念断食〜
結の刻

平成25524日(金)18時より25日(土)18時まで
高千穂神社(奄美市名瀬)
 



 

結いの刻とは、語らう時間のことです。

復帰60年目を迎える今年、先人達のおもいをうかがう機会を作りたいとのおもいと、6月に予定しているチャレンジャー白畑 瞬の成功祈願として行われました。

スタートの18時結いの刻。

(写真右より)
奥山 恒満  先輩
楠田 豊春  先輩
岡  登美江 先輩
山田 サカエ 先輩
断食・密航船の話・幼少時代の思い出など語っていただきました。


NPO法人ゆずり葉の郷の子ども達と作った竹灯篭の燈火にも感動しました。


カヌー進水式の時に唄ってくだった生元先生も三味線を持って応援にきてくださったり、学生時代の話を語ってくださいました赤塚 嘉寛先輩、また、「新聞を見たよ」と多くの先輩方が神社に足を運んでくだいました。


先輩方のおもいも含めて、チャレンジャーの白畑 瞬は挑戦します!!



終了時には結人プロジェクト恒例の手を繋いで、感謝の意をのべました。

また、

この企画に賛同頂いた方から、終了後に差し入れがありました。

当時、食べていたというソテツの芯で作ったなりがゆです。かしわ(鶏肉)としぶり(冬瓜)の吸い物もとても美味しく頂きました。

多くのご支援・ご協力のもと、無事に開催することができました。

復帰60周年を御祝いの年として過ごすのではなく、後世に苦労も語り継ぐことが必要だと改めて感じました。
このサブプロジェクトを通じて、島の歴史を継承することの必要さを改めて学ばせていただきました。

ありがっさまりょうた!!


何故、断食なのだろう?



60年前、断食が行われたのを知っていますか??

―各資料より抜粋―

1951年(昭和26年)85日、高千穂神社の境内は、各地から次々へ駆けつけた1万人の人々の熱気に包まれていた。それまで、5日間の断食を行っていた泉 芳朗氏は集まった群衆を前に自作の詩を朗読した。 

ここは北緯29度直下 奇妙不可解な人為の緯線が

のろわれた民族の死線に変わろうとしている

 

   高千穂神社に集まった1万人群衆

 

6年前の1945年(昭和20年)815日、第二次世界大戦が終戦を迎え、ポツダム宣言を受け入れた日本は北緯30度以南の口之島から奄美諸島及び琉球諸島を日本から分離し、米軍の直接占領下に置かれた。

 

北緯29度ライン

本土との自由の行き来ができない、また生活に必要な物資が入ってこないことで奄美をはじめとする人々の食料不足はひどくなる一方。仕事もなく、生きて行くため、本土に仕事を求めたり、黒糖を本土で売って食料を手に入れるために密航し行き来をしていた。

また、1947年(昭和22年)に日本国憲法が施行され、新しい教育が始まったが、奄美には新しい教科書も入らず、小中学校の教師は新しい教科書を手に入れるため、本土に渡ったこともあった。

アメリカは日本を独立するための講和条約の準備を進めていたが、草案内容は無念にも「北緯29度以南の南西諸島を米軍の信託統治下に置く」とういものだった。

「生活が苦しい。早く日本に帰りたい。日本人を日本に返せ」

,いう思いは強くなり、1951年(昭和26年)2月に奄美大島日本復帰協議会が結成された。初代議長は泉 芳朗氏が選任された。

「復帰運動はあくまで、平和主義・非暴力主義・無抵抗の抵抗でいこう」
と訴え、署名運動から始まり、当時の日本政府やマッカーサー元帥等への電報による陳情活動も行われた。

署名:3ヶ月で139348人もの署名が集まる

1951年(昭和26年)7月に初めて開催された祖国復帰総決起集会では、名瀬小学校校庭に市民1万人余りが集まった。計27回、各地で祖国復帰決起集会は行われた。

1951年(昭和26年)8月に祖国復帰の民族的悲願を断食で世界に訴えようと提案し、5日間の断食祈願にはいった。小学生から老人まで、各地で24時間集団断食祈願を行った。
また、国歌の斉唱も国旗の掲揚も禁じられた中、泉芳朗氏は祖国復帰郡民大会の壇上に立ち、ポケットから日の丸のは他を取り出して掲げ、

 「奄美の子どもたちよ。君たちは日本人だ。日本人であることを、決して忘れてはいけない。この旗をしっかりと見なさい。日の丸の旗だ。よく覚えておいて欲しい。決して忘れてはいけない」
と、語りかけた。

1952年(昭和27年)9月、名瀬市長へと選ばれた。就任後、鹿児島県知事に復帰を要請すると共に、吉田首相やアメリカ大使と会見を行い、奄美の祖国復帰を訴えた。こうして、翌年の8月、アメリカのダレス国務長官がアメリカ政府は奄美群島を日本に返還する用意がある。と声明を発表した。

 
―そして昭和28年の1225日の午前零時、奄美群島は日本に復帰を果たした。

  復帰を喜ぶ泉 芳朗 氏

ご協力、ありがっさまりょうた!


お問い合わせ先
結人プロジェクト事務局
〒894-8585 奄美市名瀬入舟町6-1(楠田書店内)
TEL:090-8762-3302 FAX:0997-52-2634
E-mail:yuinchu60@yahoo.co.jp

断食プロジェクト担当
玉野 梨沙
TEL:090-6776-1556


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